ヒビノキロク
Posted by xiely - 2011.05.03,Tue,15:16:19
ねたバレ避ける必要がなくなったので、ニジンスキー評や見た人の感想を(見つけられる範囲の)片っ端から読んでるんですが。
アサヒコムの耽美押しはなんじゃそれ。藪下評もなんか中途半端。歯切れ悪くない?!(まぁそこはあまり深く立ち入らないでおこう。。。)
にしても。耽美ねぇ。耽美って、享楽的で退廃的なイメージだけど、バウ「ニジンスキー」にはそんなのないよ。
終始重い、とも思わないけど、耽美というには悲劇の要素が濃い。
曲がりなりにも舞台評であるならば、もう少し本質を。。。って自分の見解にそぐわないから本質を捉えていない、というつもりではないけど、それにしてもちょっとそれ、それだけじゃないー!って叫びたくなる人の気持ちわかるわ、って感じ。
ブエノスアイレスなんですよね。(は?)
(こっからねたバレまったく考慮してません)
ニジンスキーが南米公演で訪れる。「『世界の果て』という意味なんだ」的なセリフ(←正しくは、「世界の果てのような町だけどなぜか懐かしいんだ」みたいな感じでしたわ)があったと思うんですけど、どこかの土地のことを指していったのかちょっとわからなかったんですが、ちょ、やめて
(号泣)みたいな。
なんでやねん。(というか泣いてないけど。盛りました。ごめん)
「ブエノスアイレス」ですよ!春光乍曳。孫権、、、じゃなかった張震が「世界の果て」を訪れるシーンが胸に去来したのは言うまでもなく。内容もオーバーラップして。。。どんだけ泣かせたら気が済むのー(T_T)(いや。そこリンクする人がいるの想定外だろ。。。)
しかしまぁこういうのはびっくりするよね。不意打ちは困る不意打ちは。
観る前、いったいどこまで描かれるんだろう、と思っていて、それはディアギレフとの関係もしかり、ニジンスキーの生涯もしかり。
でも、思っていた以上に正面から描かれていて、かつセンセーショナルな扱いではなくて、もうそれ以上はやめて、と思われるほど強調されすぎるわけでもなくでもぎりぎりの分量で、あ、でも最後の狂気に沈んでいくシーン、私まともに見れていないかも。実際にニジンスキーの手記にある文言がセリフに使われていて、効果的だと思ったけど。私あの場面ちゃんと観たかな?いやどんなシーンだったかは覚えてるけどさ。若干感情にフィルターかけつつ観てた気がするわ。防御フィルター。
手記の内容は結構読むに耐えないような部分もあり(ぱらっとしか読んだことないけど)、こ、これを宝塚でやるんかい?(・・;どどどうやって?と思っていたんだけど、全くそういう文献に関してはスルーされててもがっかりしたと思うから、あって良かったな、って。それはまぁ私の事情なんですが。(セリフは読むに耐えない部分からはとられてないのでご心配なく)
私は、ニジンスキーが自分を失っていくところまではやらないのかなと思ってたんだよね。やるとしても示唆する程度なのかなぁ、とか。けど、がっつりそこまで描かれていて、私がちぎちゃんで観たいと思っていたのは実はそういう部分でもあったから、個人的には嬉しいけど、ちぎちゃん、ちゃんと戻ってくるんだよー、って思いました。これ1日2回とか酷じゃない?とか。
そして、やっぱり一番気になってたのが「牧神の午後」かな。私どうしてこの単語がニジンスキーについてまわるのかよくわかってなくて。バレエの演目という以上になにか知る必要があるとは思ってなかったっていうのもあるけど、当時斬新すぎる振付で、とか官能的すぎて、賛否を分けた、みたいな書かれ方をしてて、...つまり?(にっこり)、ってまさき王様状態だったんですが。(今そんなノリはいらんと思う)
つまり、ニンフの残した布を手に自慰行為に及ぶと。
どうするんだろうそれ、って思ってたんですよ。でも省かれてなかったの。美しい振付で、決して受け入れがたくはないです。ノバボサのアマールアマールとかの方がよっぽど猥雑だと思ったりする。でも、男女の交わりじゃなくて一人で果てるのを表現しなきゃいけないって(←ってあぁまぁそんな露骨な振付じゃないですが)、過酷すぎるぅ(T△T)~号泣、だったんですが。
よく考えてみたら、私は観劇後、ニジンスキースキー(…)な人はのこの作品どう思うんだろうな?っていう方向ばっか気になってたんですが、逆にまったく予備知識ない人にとってどうだったんだろうか?っていう側面もあるよな、と思いまして。で観た人のブログとか読んでたら、「牧神の午後」がそんなにセクシャルな作品だとは知らなくても、あの場面ちゃんと(?)そういう風に見えたんだなーと思って。(そう書いてる人がいたから)
すごいね。観る方もすごいけど、作った方も。あの振付は芸術的と思う。やってのけたちぎちゃんもね。...ちょっともぉ涙なしに書けないよぉ。(なんて書いて、どんな衝撃シーン?!って思われちゃったらどうしよう。きれいなシーンですよ。一幕最後。)
でね、そういう難しいシーンもある作品をね、舞台にのせてちゃんと成立させてる、っていうかそれのみならずかなり完成度の高い作品になってるのがね、、、みんな大好きじゃー!!><(なんやなんやおい)
いやなんか出演者全員が心を合わせてないと出来ないんじゃないかなぁ、と思って。なんかね、舞台全体からほんとにみんながこの作品を支えてる感じがすごくしたんですよ。えぇカンパニーやなぁと思って。
だから、そんなに重苦しい、救いがない感じはしなかった。いやもぉ感受性が磨耗してるのかもしれませんけどvv;さすがにちぎちゃん自身が行ったきりになっちゃう恐れはなさそうだったからさ。(当たり前か)
だし、狂気に捉われるヴァーツラフを、最後、ロモラが抱きしめる。ロモラは常に、ニジンスキーをこっち側の世界に導く存在だったから(この作品において)、私はこの作品が単に悲劇的なだけとはあんまり思わなかったです。あゆちゃんすごい良かった。
そして、最後にまたニジンスキーがシェヘラザードを踊るんだけど、オープニングの時と全然表情が違うのよね。あれ?オープニングは緊張してたから?とか、もう最後でほっとしてるの?ってちょっと思ったけど。(いやそりゃわざと変えてんだろう!深読み?)
体の動きまでなんとなく躍動感が増してる感じがするような、やっと自由になれた喜びで舞ってるような、そんな感じでねぇ。ちゃんと昇華させて終わってくれるから大丈夫。(大丈夫ってなんや)
全ツよりニジンスキーに全力投球するべきやったで。。。(おいこらー)
ニジンスキーが南米公演で訪れる。「『世界の果て』

なんでやねん。(というか泣いてないけど。盛りました。ごめん)
「ブエノスアイレス」ですよ!春光乍曳。孫権、、、じゃなかった張震が「世界の果て」を訪れるシーンが胸に去来したのは言うまでもなく。内容もオーバーラップして。。。どんだけ泣かせたら気が済むのー(T_T)(いや。そこリンクする人がいるの想定外だろ。。。)
しかしまぁこういうのはびっくりするよね。不意打ちは困る不意打ちは。
観る前、いったいどこまで描かれるんだろう、と思っていて、それはディアギレフとの関係もしかり、ニジンスキーの生涯もしかり。
でも、思っていた以上に正面から描かれていて、かつセンセーショナルな扱いではなくて、もうそれ以上はやめて、と思われるほど強調されすぎるわけでもなくでもぎりぎりの分量で、あ、でも最後の狂気に沈んでいくシーン、私まともに見れていないかも。実際にニジンスキーの手記にある文言がセリフに使われていて、効果的だと思ったけど。私あの場面ちゃんと観たかな?いやどんなシーンだったかは覚えてるけどさ。若干感情にフィルターかけつつ観てた気がするわ。防御フィルター。
手記の内容は結構読むに耐えないような部分もあり(ぱらっとしか読んだことないけど)、こ、これを宝塚でやるんかい?(・・;どどどうやって?と思っていたんだけど、全くそういう文献に関してはスルーされててもがっかりしたと思うから、あって良かったな、って。それはまぁ私の事情なんですが。(セリフは読むに耐えない部分からはとられてないのでご心配なく)
私は、ニジンスキーが自分を失っていくところまではやらないのかなと思ってたんだよね。やるとしても示唆する程度なのかなぁ、とか。けど、がっつりそこまで描かれていて、私がちぎちゃんで観たいと思っていたのは実はそういう部分でもあったから、個人的には嬉しいけど、ちぎちゃん、ちゃんと戻ってくるんだよー、って思いました。これ1日2回とか酷じゃない?とか。
そして、やっぱり一番気になってたのが「牧神の午後」かな。私どうしてこの単語がニジンスキーについてまわるのかよくわかってなくて。バレエの演目という以上になにか知る必要があるとは思ってなかったっていうのもあるけど、当時斬新すぎる振付で、とか官能的すぎて、賛否を分けた、みたいな書かれ方をしてて、...つまり?(にっこり)、ってまさき王様状態だったんですが。(今そんなノリはいらんと思う)
つまり、ニンフの残した布を手に自慰行為に及ぶと。
どうするんだろうそれ、って思ってたんですよ。でも省かれてなかったの。美しい振付で、決して受け入れがたくはないです。ノバボサのアマールアマールとかの方がよっぽど猥雑だと思ったりする。でも、男女の交わりじゃなくて一人で果てるのを表現しなきゃいけないって(←ってあぁまぁそんな露骨な振付じゃないですが)、過酷すぎるぅ(T△T)~号泣、だったんですが。
よく考えてみたら、私は観劇後、ニジンスキースキー(…)な人はのこの作品どう思うんだろうな?っていう方向ばっか気になってたんですが、逆にまったく予備知識ない人にとってどうだったんだろうか?っていう側面もあるよな、と思いまして。で観た人のブログとか読んでたら、「牧神の午後」がそんなにセクシャルな作品だとは知らなくても、あの場面ちゃんと(?)そういう風に見えたんだなーと思って。(そう書いてる人がいたから)
すごいね。観る方もすごいけど、作った方も。あの振付は芸術的と思う。やってのけたちぎちゃんもね。...ちょっともぉ涙なしに書けないよぉ。(なんて書いて、どんな衝撃シーン?!って思われちゃったらどうしよう。きれいなシーンですよ。一幕最後。)
でね、そういう難しいシーンもある作品をね、舞台にのせてちゃんと成立させてる、っていうかそれのみならずかなり完成度の高い作品になってるのがね、、、みんな大好きじゃー!!><(なんやなんやおい)
いやなんか出演者全員が心を合わせてないと出来ないんじゃないかなぁ、と思って。なんかね、舞台全体からほんとにみんながこの作品を支えてる感じがすごくしたんですよ。えぇカンパニーやなぁと思って。
だから、そんなに重苦しい、救いがない感じはしなかった。いやもぉ感受性が磨耗してるのかもしれませんけどvv;さすがにちぎちゃん自身が行ったきりになっちゃう恐れはなさそうだったからさ。(当たり前か)
だし、狂気に捉われるヴァーツラフを、最後、ロモラが抱きしめる。ロモラは常に、ニジンスキーをこっち側の世界に導く存在だったから(この作品において)、私はこの作品が単に悲劇的なだけとはあんまり思わなかったです。あゆちゃんすごい良かった。
そして、最後にまたニジンスキーがシェヘラザードを踊るんだけど、オープニングの時と全然表情が違うのよね。あれ?オープニングは緊張してたから?とか、もう最後でほっとしてるの?ってちょっと思ったけど。(いやそりゃわざと変えてんだろう!深読み?)
体の動きまでなんとなく躍動感が増してる感じがするような、やっと自由になれた喜びで舞ってるような、そんな感じでねぇ。ちゃんと昇華させて終わってくれるから大丈夫。(大丈夫ってなんや)
全ツよりニジンスキーに全力投球するべきやったで。。。(おいこらー)
PR
Comments
Post a Comment
カレンダー
カテゴリー
最新Comment
最新記事
最新TB
プロフィール
めーるふぉーむ
▼直接送りたいメッセージがある時に利用くださいまし。できればメアド入れてね。(なくても送れます)
Powered by NINJA TOOLS
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(12/28)
(12/28)
(12/28)
(12/30)
(12/31)
(01/02)
(01/03)